「会話が生まれる」シンボルに
デザイナー・佐藤卓さん

 厚生労働省が進める依存症普及啓発事業の一環として、依存症への理解を深めるためのアウェアネスシンボルマーク「Butterfly Heart」が作成された。このマークをデザインした佐藤卓さんは、「ニッカウヰスキー ピュアモルト」、「明治おいしい牛乳」などのパッケージデザインを手掛けた著名なデザイナーだ。佐藤さんは、シンボルマークを通じて、「依存症の啓発につながるような会話が生まれてほしい」などと、デザインに込めた思いを語った。

先輩を理解していれば

―佐藤さんはこれまで多くのデザインをされてきましたが、今回のような知識の普及、啓発のためのシンボルを手掛けられたことはあるのでしょうか。

佐藤卓(以下、佐藤) 企業や施設、ブランドのシンボルマークをデザインした経験は多くありますが、今回のようなものはなかったと思います。

―アウェアネスシンボルマークのデザインを依頼される前、依存症というものをどのように認識されていましたか。

【佐藤】 私の大学の先輩で、とても力のあるイラストレーターがいました。一緒にバンド活動もしていて、とてもお世話になった方です。その人と一緒にいて、「あれ、いつも息からアルコールのにおいがするな」と思うようになったのですが、しばらくすると入院してしまいました。アルコール依存症になっていたのです。
 何度も入退院を繰り返して、お見舞いにも行きましたが、残念なことに数年前に亡くなりました。
 ただ、私も依存症を理解していたかと言えば、そうではなかったと思います。その先輩のことも「精神的に弱いところがあったのではないか」と思っていて、「病気」だという意識にはなっていませんでした。

―デザインするに当たって、依存症についても知識を得られたと思いますが。

【佐藤】 厚生労働省の担当の方から丁寧にご説明いただいて、腑に落ちました。「ああ、そういうことだったんだ」と理解することができました。亡くなった先輩に対しても、温かい目で見守っていたつもりではあったのですが、やはり理解が足りなかったと思いました。
 もう少し早く、周りにいる者が依存症は病気なのだということを理解してあげて、寄り添ってあげることができればよかったという反省もあります。
 そういう思いもあって、少しでもいいから依存症の当事者や家族の力になりたいと、この仕事をお引き受けすることにしました。もちろん、簡単な仕事でないことは分かっていましたが、簡単でない方がやりがいもあります。どうなるかまったく想像がつかない状態でしたが、やることにしました。

キーワード思い図形化

―それでは、どのような経過で「Butterfly Heart」のデザインにたどり着かれたのでしょうか?

【佐藤】 シンボルマークは、グラフィックデザインの基本です。求められているイメージを、動かない形に「落とし込む」ことが必要になります。
 そのために、さまざまなものを頭の中で言語化していきます。例えば、「支える」「思いやり」など依存症の啓発の中で、どんなキーワードがあるかを頭に思い浮かべながら、言葉とともに図形化していきます。私にとってデザインと言語は一体で、脳の中で常に言語化しなからスケッチをします。

―何枚くらいスケッチするのですか?

【佐藤】 仕事の内容によって違いますが、それこそ数えきれないくらいですね。「これは絶対にあり得ないだろう」というものも描いて「これはない」と確認する作業もします。

―シンボルマークをデザインするとき、何を重視されるのでしょうか?

【佐藤】 最近は「会話が生まれるか」を考えます。一方的に情報を伝えるのではなくて、見た人に「これは何だろう?」と思ってもらえれば、そこで会話が生まれます。その結果として、いろいろなことが相手に伝わって情報が行き来する…。シンボルマークをそういったきっかけにすることを目指しています。

今までにない「ハート」を

―今回もそうした考え方でデザインされたわけですね。

【佐藤】 依存症の周囲にいる私たちにとって、「思いやり」が大切だとすると、世界中の人が思いつくのがハートでしょうね。ですから、まずハートを使う可能性は探るべきだと思いました。誰もが共有できるモチーフを元にしながら、今までにないハートは作れるのか、それが最初の問題です。
 ハートはある程度、ハートだと分かる形をしていないといけないわけです。でも、普通のハートだったら、それを見た人の間に何の会話も生まれません。

―「今までにないハート」で、「誰もがハートだと分かる形」というのは矛盾しているように聞こえますが。

【佐藤】 でも、ハートから逃げたくないという思いがありました。スケッチを描いているうちに「ハートを真っ二つに切ってつなぐと、蝶のような面白い形になるな」と思い付きました。それを繋げるとハートが生まれる、という形です。でも、ネットで検索してみると、そういうデザインは既に存在していました。
 「これも駄目だな」と思いつつ、他の案を考えているうちに、今度はハートの丸い形を片方から自然に曲線を描いて、一番下まで持っていくと、左右同じ形にはならないと気付きました。それで、「これは面白いぞ」となったわけです。

これは蝶だ

―左右対称ではないところがポイントだったわけですね。

【佐藤】 左右対象じゃないので、ちょっと見ただけでは全くハートになるとは想像できません。「そこが面白いんじゃないか」と思いました。見て、それがすぐに何だか分かってしまったらコミュニケーションが止まってしまいますが、「これは一体何だろう?」と思ってもらえる形にできれば、そこに会話が生まれるわけです。

―この形にたどり着くまで、相当な時間をかけていることになりますね。

【佐藤】 左右非対称にすることを思い付いた後も、細いハート、かなり太いハート、ちょっと太めのハートなど、いろいろなハートの形をスケッチしていって、今の形に至りました。そして、この形をつなげていって、「これは蝶だ」と思いました。蝶には「羽ばたく」ことや「復活」など、さまざまな意味を込められています。

興味がない人たちに向けて

―このデザインを見た人の間で、どんな会話が生まれてほしいとお考えですか。

【佐藤】 「こういうふうに理解してほしい」というような特定の思いを込めているわけではありません。なぜかと言えば、人によってデザインとの関わり方がまったく違うからです。それはシンボルマークだけでなく、商品デザインなど、すべてのデザインがそうなのです。

―「デザインとの関わり方」というのは、どういうことでしょう。

【佐藤】 そのデザインをパッと見るだけで、細かいところは見ない、それほどの興味を持たないというように「浅く」付き合う人もいれば、よく見て「これはこの部分が好きだ」とか、「これは何だろう」と調べてくれるくらい深く付き合ってくれる人もいます。あまり興味がなくても、依存症のアウェアネスシンボルマークとして一度見たときに「何か変な形だな」と記憶に残る。ある時にまた、それを見たときに、「あ、あれだ」と思って、新しい興味につながる。デザインにおいては、そういった物語を用意しておくことが重要だと思っています。

―興味がない人の記憶にも残るようなデザインを目指すということですね。

【佐藤】 基本的には興味がないということが前提です。これは商品をデザインするときと同じで、「全く興味がない人の方が多い」のが現実です。それを前提で何をするべきかを考えるのが、私たちデザイナーの仕事なのではないか、と思います。

―シンボルマークはまず蝶に見えますが、下に「バタフライハート」と英文で書いてあって、「バタフライは分かるけど、ハートは何だろう」という興味が出てきます。見た人の好奇心を刺激することも考えたのでしょうか。

【佐藤】 そういうこともないわけではありませんが、広告のように人の気持ちを強引につかむようなことはしたくないと思っています。広告だと、企業が予算をかけて力ずくで人の気持ちを持っていくようなことがありますが、私はその「力ずく」がものすごく嫌いです。「優しく」というか、興味のない人は前を通り過ぎてもらっても構わなくて、ちょっと興味がある人が逆に入ってきてくれるような存在感を、いつも探っています。

思いやりが一番大切

―今回のデザインを通じて、どんなことをお考えになりましたか。

【佐藤】 今、問題は世界中に山積していて、すぐに、明日が理想的な状態になるなんてことはあり得ないと思います。でも、今回この仕事をさせていただいて、やはり「人の思いやり」が一番大切なことなのだろうなと思いました。  例えば、ネット上で自分の名前を出さずに人を攻撃したり、精神的に追い込むような言葉を平気で発言したりする状況が起きています。目に見えないところで人が傷ついていることもたくさんあります。テクノロジーが可能にしたコミュニケーションには素晴らしい側面もありますから、それを一方的に否定もできません。そういう状況の中で、思いやりをどうやってみんなが持てるかということが大切だと思います。そうしたことをみんなが常に自問自答していけば、少しずつ優しい思いやりのある社会に向かう気がします。

佐藤卓さんプロフィール

グラフィックデザイナー
1979年東京藝術大学デザイン科卒業、81年同大学院修了。株式会社電通を経て、84年佐藤卓デザイン事務所設立。現TSDO代表。2018年公益社団法人日本グラフィックデザイナー協会会長就任。「ニッカウヰスキーピュアモルト」の商品開発から始まり、「ロッテキシリトールガム」「明治おいしい牛乳」のパッケージデザイン、「PLEATSPLEASE ISSEY MIYAKE」のグラフィックデザイン、「金沢21世紀美術館」「国立科学博物館」「全国高等学校野球選手権大会」のシンボルマークなどを手掛けるほか、施設や商品のブランディング、企業CIなどを中心に活動。また、NHK Eテレ「にほんごであそぼ」アートディレクター、「デザインあ」総合指導、21_21 DESIGN SIGHT館長も務める。展覧会に『water』『縄文人展』『デザインの解剖展』『デザインあ展』など。著書に『クジラは潮を吹いていた。』(DNPアートコミュニケーションズ)、『塑する思考』(新潮社)、『大量生産品のデザイン論-経済と文化を分けない思考-』(PHP新書)など。