【対談記事】薬物依存症:ダルクってどんなところ?
「薬物依存症」とは、特定の薬物を繰り返し使用することで、精神的・身体的にその薬物に依存してしまい、自分の意思では使用をやめられなくなる状態のことを指します。大麻や覚せい剤のような違法薬物だけでなく、処方薬や薬局で買える市販薬でも発症することがあるため、誰にとっても無関係ではありません。
今回は、依存症啓発サポーターに就任したお笑い芸人「相席スタート」の山﨑ケイさん、山添寛さんが、ゲストに一般社団法人ファミリーライク静岡ダルク代表の藤村現さんを迎え薬物依存症の回復支援施設であるダルクについてお話を聞きます。
プロフィール
山﨑ケイ(相席スタート)
千葉県出身。NSC東京校13期生。2013年に相方の山添寛とコンビ「相席スタート」を結成。 2016年M-1グランプリファイナリスト。 ルミネtheよしもとなどで活動しているほか、「ザ・ラジオショー」(ニッポン放送)のラジオパートナーも務める。
山添寛(相席スタート)
京都府出身。NSC東京校14期生。お笑いコンビ「相席スタート」として活動。2016年M-1グランプリファイナリスト。趣味・特技は、とんかつ、鍋、麻婆豆腐、ボードゲーム、ボートレース、ギャンブル、心理戦。
藤村現(一般社団法人ファミリーライク・静岡ダルク代表)
薬物依存症の当事者であり、自らの経験をもって同じ病気で苦しむ仲間と分かち合い回復の道を歩む。
【山﨑】 本日のテーマは薬物依存症ということで、一般社団法人ファミリーライク静岡ダルク代表の藤村現さんにお越しいただきました。よろしくお願いします。
【藤村】 お願いします。
【山﨑】 ダルクという言葉は耳にしたことがありますが、改めてどのような施設なのか教えていただけますか?
【藤村】 はい、ダルクは「ドラッグアディクション・リハビリテーションセンター(Drug Addiction Rehabilitation Center)」の頭文字を取った名称です。薬物依存からの回復を目指すリハビリ施設であり、全国に関連施設が約80か所あります。

薬物依存症になったきっかけ
【山﨑】 藤村さんご自身も薬物依存症の当事者で、ダルクでの生活を通じて回復をされたとお聞きしています。いつ頃から薬物依存症になったのでしょうか?
【藤村】 今「回復された」とおっしゃいましたが、実は薬物依存症は「完治する」という概念がないと言われています。私は24年間薬物を使っていませんが、今でもリハビリを続けています。
【山﨑】 これまでに薬物をやめようと思ったことはありましたか?
【藤村】 はい、何度もあります。しかし、そのたびに再発を繰り返しました。
【山﨑】 アルコールやギャンブルは、私たちの身近に存在しています。しかし、薬物については、自分が触れる機会がなかったので、どのようにして依存症に陥るのか想像がつきません。依存のきっかけについて教えていただけますか?
【藤村】 薬物も実は身近にありまして、たとえば、家庭の中で親がタバコを吸っている環境で育つと、ニコチンも薬物の一種ですし、僕たちはアルコールも薬物の一種として捉えています。依存症の始まりは、意外にも日常の中にあるものなのです。
【山添】 いわゆるドラッグだけではないということですね。
【藤村】 はい。病院で処方される薬でも薬物依存のリスクがあります。
【山﨑】 藤村さんの場合は、どういうきっかけだったのでしょうか?
【藤村】 私の場合、最初のきっかけは父がヘビースモーカーだったことです。小学生の時、弟と一緒に親の真似をしてタバコを吸ってみました。中学に入ると先輩たちがシンナーを使っているのを目にしました。
【山添】 当時は流行っていましたよね。
【山﨑】 シンナーはそんなに簡単に手に入るものだったのですか?
【藤村】 はい、簡単に手に入りました。シンナーから始まり、17歳の時に先輩から覚せい剤をすすめられました。
【山﨑】 1番最初、「覚せい剤はダメだ」みたいな、「手を出したらダメだ」という恐れはなかったのですか?
【藤村】 ありました。「人間やめますか、覚せい剤やめますか?」というコマーシャルが流れていた時期でした。シンナーを使っていた仲間の間でも「覚せい剤だけはダメだ」という意識がありました。でも、その頃にはすでに非行グループの中にいたので、誘われた時に「怖い」とか「できない」と言えませんでした。
薬物から離れる難しさ
【山﨑】 自分が依存症だと自覚はありましたか?
【藤村】 そもそも“依存症”という言葉自体を知りませんでしたし、薬物依存症が病気だということも理解していませんでした。ただ、自分でやめられなくなっているということは、感じていました。
【山添】 やめられない期間というのはしんどかったですか?
【藤村】 薬物を使っている時は、一時的に気持ちが上がります。でも、だんだんとなりたくない自分になっていくのを感じ、何百回もやめようとしましたが、結局、何か困難に直面すると、すぐに薬物に頼ってしまうんです。残念なことに、依存症は「底なし」と言われていて、どんどんなりたくない自分に成り下がっていきました。
【山添】 それはやはり、自分の周りの環境も影響していますか?
【藤村】 自分も環境のせいにしていたのですが、ダルクでのプログラムを通じて、問題の本質は全て自分にあるということに気付くことができました。

ダルクとつながるまで
【山﨑】 もともとダルクの存在は知っていたのでしょうか?
【藤村】 ダルクの存在は知っていました。テレビや雑誌で、ダルクの紹介が流れたりしていて、その時は自分でやめられないかわいそうな人たちが集まる場所だという思いで見ていました。
【山﨑】 その後、ダルクに参加することになったきっかけは何でしたか?
【藤村】 きっかけは一番身近にいた家族でした。もうすごい状態でしたから、家族が何とかしたくて相談に行ったのがダルクでした。でも、自分自身ではまだ「自分でやめられる」と思っていました。
薬をやめられず、どうにもならない状態になっていました。もう、本当にダメだと思ったとき、初めて家族に「薬を止められないから、ダルクに連れて行ってほしい」と言いました。それが今から24年前の35歳のときです。
【山﨑】 やっと認めることができたのですね。相当時間がかかりましたね。
【藤村】 はい。でも、僕の場合、早い方かもしれません。僕と同じ年代の50代や60代、さらにはもっと上の方々も、今、ダルクにたどり着く人たちもたくさんいますから。
【山﨑】 最初に訪れたのはどこのダルクですか?
【藤村】 僕は神奈川出身で、横浜ダルクに相談に行きました。ただ最初は、正直「終わりだな」とか、「こわれた人たちが行く場所だ」と思っていたんです。でも、実際に会って話してみると、「依存症っていう病気だから、やめられなかったのは仕方がないよな」と言ってくれてとても印象が良かったんです。
そこで、回復したいと思うならグループセラピーに参加することが大事だと教えてもらいました。その時は「そんなことでいいの?」と思いましたが、悪いことをしてきた自分に対して「意志が弱いとかダメとかではなくて、病気だからしょうがない」と言ってもらえたことで、ダルクに行ってみようという気持ちが湧いてきました。
でも、当時は横浜という街に遊び場があったので、変なプライドもあって、「ダルクに行っている自分が見られたら恥ずかしい」と思っていました。
【山添】 仲間たちにどう見られるか気になりますよね。
【藤村】 はい。それが嫌で、地元からもできるだけ離れたかったんです。最も遠い場所を探した結果、当時は北が仙台、南は沖縄で、どちらに行くか選ぶよう言われました。そうしたらどっちに行きます?
【山﨑】 沖縄に。ちょっと楽しそうですし。
【藤村】 そうです、そうです(笑)。僕も沖縄なんて行ったこともなかったので、沖縄に決めました。
横浜ダルクのスタッフに沖縄に行くことを告げると、「じゃあ、今すぐ行け。チケットを今すぐ取って、行け」と。その時の言葉の意味が、今ではよくわかります。僕たちって、決心しても、明日になったら気持ちが変わってしまうんですよね。また薬を使ってしまう可能性すらある。それなら、決心したら今すぐ行けというのは、本当にその通りだと思います。
正直その時は決心ができなかったんですよ。「ちょっと待って、まだ準備があるし、仲間にも報告しなきゃいけない」とか、いろいろ考えてしまって。でも、また薬を使ってしまうかもしれないという不安もあったので、結局一週間後にチケットを買って沖縄に行きました。
厳しかった沖縄ダルクでの生活
【山﨑】 沖縄ダルクでの生活はどうでしたか?
【藤村】 当時の沖縄ダルクはかなり厳しいところでした。ダルクは、それぞれの施設が独立していて、プログラムはほぼ同じであるものの、施設の責任者によってカラーが違います。自由度の高いところもあれば、ルールがしっかりと決められているところもあったりします。
【山﨑】 どういうことをするんですか?
【藤村】 1日に3回、午前中、午後、夜のミーティングが基本となっていました。
【山添】 ミーティングではどんなことを話されるのですか?
【藤村】 ミーティングは「言いっぱなし、聞きっぱなし」が基本で、そこではその時々のテーマに沿って話をします。テーマは司会者や参加者が決めるのですが、たとえば「回復」というテーマで話したい人もいれば、「もう一度使いたい」「やめたくない」というテーマもあったりします。
そのテーマに従って、自分の話をするんです。ただし、ミーティングのスタイルとしては、誰かが意見をすることはなく、「言いっぱなし、聞きっぱなし」なんです。求められるのは、とにかく正直に話すことでした。それもそのミーティングでは「それでいいんだよ」と言って、話しても大丈夫な場所なんです。
これまで、家族から「やめなさい」と言われても、「わかった、やめるよ」って思っても、本当はやめたくなかったんです、使いたかった。でミーティングの場ではそれを隠さなくていいんです。どんなことでも言っていい場所だったから、僕たちも正直に話せたんですね。
【山添】 それが一番、メンタル的に助かる部分でしたか。
【藤村】 そうですね。今になって、その効果がどれくらいあるのかがわかります。
【山添】 でも、私たちにとってそのミーティングがどれくらいの効果を持つのか、いま一つわからないのですが。
【藤村】 そうですよね。当時は僕もそう思っていました。2001年1月11日に沖縄ダルクに行ったのですが、仲間たちが「よく来た、よく来た」って迎えてくれて。それからミーティングが始まったんです。
「そんなミーティングだけでいいの?」と思っていましたが、1カ月、2カ月、半年、1年と薬を使っていない生活になっていきました。
ダルクに入っても最初の頃は、薬が当たり前の生活に慣れていたから、やはり使いたくなるんですよね。期待していた沖縄はイメージと違ってあまり面白い場所じゃないし、自由もない。ただ、そんな中でも、仲間たちとミーティングを続けることで、薬を使わずに生きることができるんだって気づくことができました。ただ、それだけです。
【山添】 「あれ、これ少し良くなっているかもしれない」と気づいたのはいつでしょうか?
【藤村】 本当に時間がかかりました。プログラムを始めた当初、少し良くなったりすると、他にもたくさんのプログラムを用意されるんですが、正直、最初は全然やろうと思いませんでした。
【山添】 藤村さんご自身が「やる必要はない」と思っていたんですね。
【藤村】 そうですね、やらないんです。やったふりをすることはありますけど、実際には、プログラムをやらなくても何とかなると思っていました。

復帰への道 静岡ダルクの立ち上げへ
【山﨑】 沖縄での生活を経て、2006年には静岡でダルクを始められたとのことですが、どうして自分がダルクを立ち上げようと思ったのでしょうか。
【藤村】 ダルクのスタッフや責任者たちも当事者なんです。今だから言えますが、最初入所したときは、スタッフや責任者を見ると、何だか遊んでいるようにしか見えなかったんです。「偉そうにして楽しているな」と思ったりしていました。
当時は社会復帰に関しても、何をすればいいのか、どうするべきかも決まっていなかったんです。薬をやめられたらそれで終わりだと思っていましたが、そうではなかったんですよね。
依存症には完治というものはなくって、薬をやめることを続けていかなければならないこと、自分を守るために危険な場所や状況から離れなければならないと言われて。大好きだった地元には、もう戻れないんだということに気づきました。
【山﨑】 地元に戻りたかったけれど、また同じことが繰り返されるのではないかという不安があったのですね。
【藤村】そうです。地元が悪いわけではなくて、自分が弱いとまたやりたくなっちゃうので。
沖縄でリハビリが終わった後、スタッフとして手伝わせてもらうことになって、だんだん気持ちが変わっていきました。
【山添】 ダルクの責任者になるということは、優秀だったということですよね。
【藤村】 ひどい奴ほど、ダルクで何かを作れる立場になれるんじゃないかなと思います(笑)。最初は不良だった自分が、プログラムを通じて回復していっているという事実があるので、それを伝えていきたいと思いました。自分がやってもらって、こんな風に立ち上がったので、その気持ちがあるからこそ、他の人にも何かしたいと思っています。
静岡ダルクでは、現在約70人の参加者がいて、約20人のスタッフがサポートしています。総勢100名近くでプログラムを運営しています。仲間たちが、回復のプログラムを通じて少しずつ回復し始める姿を見ていると、嬉しいですね。
厳しいプログラムがあっても、まずは土台を作り、「素面でも楽しめる自分になろう」とする姿勢が大切だと思っています。そうしたロールモデルとして、実際に回復していく仲間たちの姿を見て、参加者たちが「自分もこうなりたい」と思ってくれることが大切です。薬を使わずに楽しく生きられるんだということを実感してもらえればいいなと思っています。
【山﨑】 静岡に参加された方々の中で、印象的だった人やエピソードはありますか?
【藤村】参加者一人ひとりにはそれぞれの物語がありますが、その中でも一番印象に残っているのは、やはり「ひどいやつ」と言われていた人たちが、プログラムを通じて変わっていく姿です。それを見るのが一番面白いし、やりがいを感じます。
薬物依存症に悩む方々へ
【山﨑】 ダルクのような施設をまだ知らない方も多いと思うのですが、そうした方々に伝えたいメッセージはありますか?
【藤村】 薬をやめようと思っても、なかなかやめられない人たちがいます。でも、ダルクのようなしかるべき場所に身を置き、プログラムを続けていけば、必ず回復の可能性があります。早い段階でもっと多くの人にたどり着いてほしいと思っています。
【山﨑】 今悩んでいる方にぜひ届いてほしいですね。依存症自体のこともよく知らない方に向けて伝えたいことはありますか?
【藤村】 依存症は誰にでもなる可能性があります。それは、違法薬物だけではなくて、病院で処方された薬や、薬局で売られている薬でも依存症になることがあるんです。だからこそ、そういった悩みを持っている人たちも特別なことじゃないと感じてほしいし、気軽に相談できる場所があることを知ってほしいと思っています。そして、ひとりで抱え込まずに、誰かに話してみてほしいですね。
【山﨑】 ダルクを経て、藤村さんがどのように変化されたのか、家族や身近な方々は驚かれましたか?
【藤村】 ずっと薬に依存していた自分が、社会の中で生きていることに、みんな驚きましたね。それに、昔の僕を知っている人たちは、「お前だけは薬をやめられないと思ってた」と言うんです。ひどかった時期があったんですよ。そんな自分でも、回復できたという事実が、周りの人々にとっても大きな驚きだったと思います。それができた自分に対して、僕自身も驚いています。だからこそ、「回復できる」というメッセージを多くの人に伝えたいと思っています。

依存症に悩む方々のために、相談できる場所が全国各地にあります。
当事者の方はもちろん、身近な仲間が依存症で悩んでいるという方もぜひ相談機関をお尋ねください。
依存症対策全国センター
https://www.ncasa-japan.jp/you-do/treatment/treatment-map/
※言い回しや重複など動画の発言とは一部異なる記述となっています。