独立行政法人
さいがた医療センター 院長

佐久間 寛之(さくま ひろし)先生

久里浜医療センターアルコール科医長、全米アルコール乱用・依存研究所(NIAAA)客員研究員を経て2018年4月さいがた医療センター(新潟県上越市)精神科医長、2018年10月精神科診察部長(医学博士、精神科医専門医、指導医)、1990年4月より現職。

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独立行政法人
国立病院機構久里浜医療センター 院長

松下 幸生(まつした さちお)先生

日本アルコール関連問題学会理事。日本アルコール・アディクション医学会理事。国立療養所久里浜病院、米国国立衛生研究所アルコール乱用とアルコール依存研究所を経て2006年久里浜医療センター精神科診療部長、2011年より現職。

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国立精神・神経医療研究センター
精神保健研究所 薬物依存研究部 部長

松本 俊彦(まつもと としひこ)先生

日本精神神経学会 精神科専門医・精神科指導医。神奈川県立精神医療センター、横浜市立大学医学部附属病院精神科、国立精神・神経センター精神保健研究所司法精神医学研究部室長、自殺予防総合対策センター副センター長などを経て、2015年より現職。2017年薬物依存症センターセンター長併任。

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風間 暁 さん

【薬物依存症からの回復】

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上堂薗 順代 さん

【アルコール依存症からの回復】

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坂本 拳 さん

【ギャンブル等依存症からの回復】

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医師からのメッセージ

佐久間 寛之

独立行政法人
さいがた医療センター 院長

佐久間 寛之(さくま ひろし)先生

回復をあきらめないで。あなたとあなたの大切な人がもう一度出会うために。
支える手がここにあります。

依存症。ふしぎな病気です。病気なのに、どうして病院だけでは治療が完結しないのか。どうして支援が必要なのか。私たち医療者も、はじめてこの病気について学んだときに、皆さまと同じ感想を持ちました。これを読んでいるあなたも、きっとそう思っているにちがいありません。

依存症は人と人のこころに壁を作る病気です。ほんとうだったらケンカしないで済んだはずの家族が、依存症と言う病気のせいで仲たがいし、ときにはバラバラになってしまったり。家族同士でも、病気をめぐって意見が食いちがって溝ができてしまったり。あなたもきっと、なぜお酒を飲むという誰もがやっている行いがそんな結果になってしまうのか悩み、傷ついていることでしょう。依存症のいちばん大きな問題点は、あなたとあなたの大切な人が傷つき、疲れ果ててしまうことなのかも知れません。こころが離ればなれになってしまうことなのかも知れません。

あきらめないでください。依存症は回復できる病気です。「自分は病気じゃない」「ただ飲みすぎただけ」そう思うのはもっともです。ですが、病気かどうかということよりも、ほんとうにたいせつなのは傷ついたあなたやご家族がもう一度元気を取り戻し、また楽しく過ごせることではないでしょうか。

回復をあきらめる必要はありません。支援者は、あなたのお手伝いをするためにいます。一歩だけ前に出る勇気があれば、「相談したいことがあるんです」と言っていただければ、そこには支える手があります。

病気が作ったこころの壁は、必ず壊すことができます。あなたとあなたの大切な人を隔てているのは、病気が作った壁なのです。それを壊す第一歩を、どうか勇気を持って踏み出してください。支援の輪はそこからはじまり、広がっていきます。

私たちは壁の向こうにいるあなた、まだ見ぬあなたに会える日を楽しみにしています。あなたとあなたの大切な人がもう一度笑い合えるように、私たちは支援します。


松下 幸生

独立行政法人
国立病院機構久里浜医療センター 院長

松下 幸生(まつした さちお)先生

ギャンブル等依存症とは

ギャンブル等依存症とは、法律(ギャンブル等依存症対策基本法)の名前にもなっていますが、実は正式な病名ではありません。正式には、ギャンブル障害と呼ばれる依存症です。ここでは、通称としてギャンブル依存と呼びます。

今では、ギャンブルやゲームなど行動に依存する(行動嗜癖と呼びます)病気があることは当たり前のように言われていますが、2013年に国際的な診断基準であるDSMが第5版に改訂されるまで、行動への依存を病気と認めるか議論がありました。ギャンブルにのめり込む病気は、病的賭博という病名で以前から知られていましたが、依存とは考えられておらず、衝動のコントロールの問題と考えられており、依存という見方をされるようになったのは最近のことです。まず、性格や意志の問題ではなく病気であるということをご理解いただきたいと思います。性格や意志の弱さはなかなか治りませんが、病気なら回復できるからです。

ギャンブル依存の特徴は、のめり込み、借金、嘘です。ギャンブルへののめり込みは、負けの深追いという症状に見ることができます。ギャンブルで負けたお金はギャンブルで取り返したいという特徴的な症状です。借金も多くの方に共通した症状です。負けが続くと勝ちが近いというギャンブル依存の方に独特な考え方をするので、借金しても取り返せると考えてしまいます。このような考え方の偏りも症状の一つです。ギャンブルをしていることを隠すのも症状の一つ。だから家族や大切な人に嘘をついてでもギャンブルをしようとします。このような症状は、誤解されやすいので、病気と思われないことが多いようです。

繰り返しますが、ギャンブル依存は、回復できる病気です。自力で回復される方もいらっしゃいますが、難しい場合は、精神保健福祉センター、医療機関、自助グループ(GA)などの相談機関にご相談ください。相談することに抵抗を感じる方も多いと思いますが、相談せずに事態を悪化させるより、相談する勇気が回復のきっかけとなると信じています。


松本 俊彦

国立精神・神経医療研究センター
精神保健研究所 薬物依存研究部 部長

松本 俊彦(まつもと としひこ)先生

薬物依存症とは

薬物依存症は、次の3つの段階を踏みながら進行します。

第1の段階は、薬物との出会いです。違法な薬物を使う場合もあれば、処方薬や市販薬のような医薬品を、不適切な用途・用法・用量で使用する場合もあるでしょう。
最初はピンとこないかもしれませんが、二、三度くりかえすうちに、薬物を使用した自分を好ましく思う体験をする人がいます。たとえば、仕事のパフォーマンスが向上したり、人前で自信を持ってふるまえたり、薬物を介して仲間とつながり、孤独感が解消されたり、ずっとひとりで抱えてきたつらい気持ちが薄らいだりするのです。一般に、生きづらさやストレスを抱えている人ほど、そうした効果を自覚する傾向にあります。
そして、好ましい自分を感じるために薬物使用をくりかえすうちに、意識の中で薬物の占める割合が大きくなっていきます。やがて薬物を使う機会を待ち遠しく感じたり、薬物のストックを切らさないように心がけたりするようになるでしょう。

第2の段階は、価値観の変化です。これまで自分にとって大切だったもの――家族や恋人、友人、仕事、財産、健康、そして将来の夢――を押しのけて、薬物が最優先事項となり、薬物を使い続けるライフスタイルに合った恋人や友人、仕事を選択するようになります。昔から本人のことを知っている人からすると、薬物中心の生活を送るようになった本人のことを、「性格が変わった」「別人になった」と感じるかもしれません。また、外出時には、薬物を携行することが多くなるために、違法薬物を使用している人であれば、偶然、職務質問された際に薬物の所持が発覚し、逮捕されてしまうこともあるでしょう。

最後の段階が、薬物使用のデメリットがメリットを上回る段階です。薬物使用によって仕事や家庭生活に支障を生じるようになり、本人は半ば危機感を覚えつつも、その現実から目を背けたり、「いつかはやめるつもりだが、いまは仕方ない」「どうせ長く生きるつもりはないから、これでいいんだ」などと居直ったりするようになります。

この時期には、周囲から薬物使用に関して批判されることが増え、本人は薬物使用を隠したり、嘘をついたりするようになります。この段階では、もはや薬物による快感はほとんど得られず、むしろ使用しないときの苦痛から逃れるために薬物を使用する状態となっています。もはや薬物をコントロールして使うことがむずかしくなり、手もとにあればあるだけ使ってしまったり、「これが最後」と自分に言い訳しながら薬物使用を繰り返したりします。

これが典型的な薬物依存症の状態です。この状態に達してしまうと、もはや自分ひとりの意志や根性では薬物をやめることはできません。専門医療機関や自助グループの助けを借りる必要があります。


回復者の体験記

風間 暁 さん【薬物依存症からの回復】

幼少期に体験した数多の逆境は、抱えきれないほど苦しいものでした。それでもつらさを外に出すことはできなかったし、強くあらねばならないと思っていたから、もしかしたらどこかバランスを取るようにして、自分で自分に、薬を処方していたのかもしれません。あれはなんとかして生き抜くために手を伸ばした「不適切なセルフケア」だったのだと、今は思います。

しかし、そうやって生き永らえていても本質的に傷が癒されるわけでもなく、むしろ依存症という病気は進行していく一方でした。苦しさから逃れたくて使っていたはずなのに、ますます苦しむことになったのです。

私が薬物使用という生き抜く手段を手放したときは、喪失感にも駆られました。でも、仲間の存在が私を繋ぎ止め、今も支え続けてくれています。そこで学んだことを、皆さんにも共有させてください。

依存症って、回復し続けることができる病気です。一人では難しいと思うことでも、仲間と一緒なら乗り越えられます。自分のことを信じられないときでも、仲間を信じることならできるんです。そんな仲間たちと、きっと出会える日がきます。

私もまた、今日一日を乗り越え続けている、あなたの仲間です。

風間 暁 さん

上堂薗 順代 さん【アルコール依存症からの回復】

「何のために生まれ、生きているのか」「朝なんか来なければいい」「死にたい」
毎日、酔って泣きながら、心に空いた穴を埋めるようにお酒を口に流し込んでいました。
私はアルコール依存症です。16歳の時家族とうまくいかず、やけくそで家にあるウイスキーをガブ飲みしたのが最初の飲酒です。その味は苦く、ひどい二日酔いで、最悪でしたが、酔って嫌なことを忘れられたので、それから隠れて一人ちょこちょこ飲んでいました。

幼少期から家族による虐待があり、人との関りを学ぶ場である家庭が安心安全な場ではない状態でした。人とどう関わっていいのか距離感がわからず、学校の先生には協調性がないと言われ続けます。人を信用できず、常に緊張状態で相手の顔色を伺い、コミュニケーションをとるのが苦手な私でも、コンパなどで酒を飲むと、私を囲っていた壁が取れ、誰とでもフレンドリーに話せるようになったのです。そのうち、お酒を飲まなくては人と関われなくなり、耐性がつき量が増えトラブルが絶えず段々人が離れていきました。

最悪な状態に陥ったのは、結婚してからです。子供がいれば寂しくない、一人にならないと思っていた私は、どうしても子供が欲しかったのですが、授からない。様々なストレスから逃避するために摂食障害を伴ったキッチンドリンカーになりました。ある日、異常にやせ細った私の体を見た実家の家族によって入院させられました。しかし、専門治療はなく、内科の病院で身体を元気にしてもらっては、再び飲み歩いてぼろぼろに。入退院を繰り返します。
最終的に繋がった精神科のソーシャルワーカーの方との出会いが、私を大きく変えました。何度もスリップ(再飲酒)しては入退院を繰り返す私を、一人の人間として接し、根気強く諦めず関わってくれました。そして、自助グループ・断酒会へ繋げてくれました。周りに若い女性のアルコール依存症の人はいなかったので、誰も私の気持ちはわからないと思っていたのですが、断酒会には同じ病気で悩み苦しむ人、そして断酒をし続けている見本となるべく人たちが大勢いたのです。通い始めのうちは、私は病気じゃない!と否認し続けていました。でも、大量に酒を飲んで交友関係を壊し続けた私の側にいてくれる人は、誰もいなくなっていた。自分の気持ちを正直に話せる場、自分を理解してくれる場は断酒会しかなく、離れたり戻ったり、何度かスリップしながらも、断酒会が受け入れてくれる居場所になっていったのです。

今は、断酒を続けて20年以上が過ぎました。不妊治療を経て双子の息子に恵まれ、看板製作の会社経営をしながら、私の命を助けてくれたソーシャルワーカーのようになりたいと精神保健福祉士や社会福祉士の資格をとりました。私のように生きづらさを抱えた人の相談支援もしています。また、ASK認定依存症予防教育アドバイザーとして依存症の予防の啓発活動を行っています。
これからも一日断酒を継続し、迷惑をかけた人への償いを続け、生きていてよかったと思える人生を歩んでいきたいです。

上堂薗 順代 さん

坂本 拳 さん【ギャンブル依存症からの回復】

子供の頃からスポーツが好きで、高校時代は、甲子園出場を目指して野球に打ち込んでいました。高校を卒業すると、看護師になるために地元を離れて一人暮らしを始めます。その頃から、学校の実習や人間関係のストレスを解消するために、スマホのゲームにはまっていきました。多い時には1日7、8時間することもあり、ゲームへの課金で借金が増えると、一発大きく当てて借金を返済しようと考えるようになっていきます。次第に競艇などのギャンブルにのめり込んでいくのですが、もちろんギャンブルで借金を返せるようにはなりません。複数の消費者金融から借金を重ねるようになります。どうにもならなくて、実家からお金を無断で持ち出したり、スマホ料金を40万円以上も滞納したりして、生活が破綻していきました。苦しいのは、そんな状態に陥ってもゲームやギャンブルをやめられないこと。そんな私が依存症からの回復につながったのは、23歳の時です。給料全てをギャンブルにつぎこみ、食べ物を買うことすらできなくなりました。もう自分の力ではどうにもならない。母に助けを求めた所、ギャンブル依存症からの回復施設を勧められて入所することになりました。回復施設に抵抗はなく、必然的にギャンブルから離れることができたので、心の底からホッとしたのを覚えています。

私は、回復施設でのプログラムを通じて、生きやすくなりました。昔は、人に弱みを見せられない性格で、理想の自分であり続けるために、どんどん無理をしてしまう。ストレスも溜まっていく。今は、少しずつ自分のことを客観的に見ることができて、問題やストレスを抱えていても、自助グループに通うことで、気持ちの整理をし、吐き出せるようになりました。もともと体を動かすのが好きだったので、趣味としてスノーボードやテニス、など、仲間たちと心から楽しんでいます。

今は、依存症の回復施設の職員として働いています。当事者の話を聞くと、ギャンブルやゲームだけが心の拠り所だった、それがあったからなんとか生きてこられたという人は少なくありません。でも、依存症の回復プログラムを通して、自分の生きづらさに向き合い、問題を取り除くことができれば、ギャンブルやゲームに頼らなくても生きていけるようになる。私自身の経験を、これからも伝えていきたいです。

坂本 拳 さん